この旅は、文章ばかりです。画像はほとんどありませんので、読んでくれる方、申し訳ありませんが、そこの所は、ご勘弁を…
土曜日のせいか、名古屋駅は、人が平日に比べて少なかった。8時頃につき、しばらく待つことにした。
まずは、中央西線。ちょうど土曜日であったことから、「快速ナイスホリデー」塩尻行きに乗車した。311系であった。
まだ98年の頃は、313系がなかった時代であった。いきなり快適な車両であった。
中央線で311系は、この時間しかないのであった。転換式シートだから、最高であった。しかし、これ以降、転換式シートにあえないのかと思うと、ちょっとばかりブルーな気持ちになってしまった。
途中、多治見までは、快速として運転。しかし、このときは、台風が近づいているせいか、雨足が強かった。半分以上の乗車率であった。8両のうち、2両が指定席となっていた。多分、指定席は、全くいないのであろう。大雨の中の車窓風景もまたいいものである。と思ったのは、はじめだけで、結局は何も見えないから、不愉快であった。
岐阜県に入っても、雨はやむ気配がなかった。やはり台風が接近しているのであろう。しかし、止まることや減速することもなく、快調に走っていた。多治見まできて、快速区間はしばらくは、終わり。ここから、各駅停車となった。
この列車で、塩尻まで行けば、快適なのだが、土曜日ということもあり、高校生らが大勢乗り込んでくることを予想して、中津川から、松本行きの普通に乗り換えることにした。先を見越しての事である。
中津川で降り、松本行きの普通が来るまで待つ事にする。来るのは、待避線にいた165系であった。湘南色のかぼちゃ色車であった。もちろん急行型のボックスシートであった。乗車率は、意外にも少なくて、安心した。足を投げ出す事も出来た。
途中、坂下や南木曽まできても、混むこともなく、雨の中の寝覚ノ床を見物した。木曽川は増水していて、ココア色に変身していて、きれいな川ではなかった。
木曽福島に来ると、若干乗り込んでくるが、対した混み具合ではなく、ワンボックスを独り占めできた。この快適さは塩尻まで続いた。道路の車も鈍行なのに、抜かしていくのだが、駅に着いてしまうとまた、抜かされるという自称ジェットヒートが続いていたのであったが、工事中で制限されていたので、結局、わが、普通列車の勝利に終わった。
贄川、洗馬とくると、だんだん山がなくなっていき、盆地に入ってきた。そして、中央東線にいく線路と別れると、久しぶりに見た大きな駅、塩尻に着いた。久しぶりに都会の駅に来たという感じだったが、ここから、高校生の大群が乗り込んできて、デッキにまで及び、満員となってしまった。さすがに都会のラッシュを思い浮かぶ光景であった。ここから、松本まで、都会的な町並みが続いた。でも、わずか10分ほどで、終点の松本についた。
ここで、昼飯タイムとした。信州に来たから、もちろん蕎麦とした。
しかし、どうせほとんどこれからの車両が、かぼちゃ車のボックスシートである事が想像できたために、諦めていた。
中央東線から来た、長野行きの普通列車は、混んでいた。ボックスシートをとる事が出来ずに、扉付近にあるロングシートにしか座ることが出来なかった。しかも、扉を開けると、雨風がはいり、非常に最悪であった。
また、唯一の景色の良い、姨捨も視界が悪く、見る事が出来なかった。長野までの1時間少しはすごく苦痛であった。なかなか乗客がまとまって降りることがなく、ぜんぜん乗車率は変わらなかった。
長野に着いたときは、正直ほっとしたのであった。
しかし、長野駅を見て驚いた。この年にオリンピックが開かれたので、駅は真新しかった。まだ信越本線の直江津行きの時刻まで時間がたくさんあったから、駅前をウロウロして時間をつぶした。しかし、男数人が行っても楽しい事はなく、すぐに駅に戻ってきた。
そして、直江津行きのホームに向かった。次に乗るのは、快速信越リレー号。どうせ、ボックスシートだろうと思っていた。その前に入線まで時間があったので、長野新幹線のE2系をモデルにして、写真を撮った。
写真を撮り終えると、まもなくして、電車が入ってきた。来たのは、189系であった。なんと特急型車両であった。これには、驚いてしまった。中に入ると、間違いなく、リクライニングシートであった。しかも、フリーストップ式。これは、快適であった。入線当初は、乗客が少なかったのだが、高校生らが乗り込んできて、ほぼいっぱいとなった。でも、転換して、向かい合わせにすると、恐ろしく座席間隔が狭くなり、これは、失敗であった。やはり、台風の影響なのであろうか。雨はやむ事はなく、断続的に降っていた。
信越本線が単線である事は、長野を過ぎて、知った。山があるのだが、トンネルは少なかった。豊野で、飯山線とはなれ、だんだんと山の中に入っていく。妙高高原や黒姫あたりに来ると、もう新潟県である。新潟県にはいると、今度は下り坂になっていく。高田のあたりでは、日本海がかすかに見えた。しかも、雨がやんでいた。特急型の快適な旅はあっという間だった。
直江津駅に着くと、すでに下校の生徒がかなりいた。これでは座れるかどうか心配であったが、なんとか、ワンボックスを取ることが出来た。
すでに17時を回っていて、だんだんと夜になろうとしていた。しかし、これからが、日本海の風景が見えるというところなのに…仕方のない事である。混雑していた列車も、一駅ごとに減っていき、柏崎のあたりでは、ほとんどいなくなってしまった。
ここで、特急の待ち合わせと、トワイライトエクスプレスの通過待ちで停車した。ここで、驚いたのは、特急で通学している高校生であった。あれには、驚く反面うらやましかったが、485系だから、あまりうらやましくないかも知れないが…。
列車は、何も見えなかった日本海を離れて、内陸へと進んでいく。もはや、やる事もなく、ボーっとしていると、長岡駅に到着した。久々に、にぎやかな街に来たと言う感じだった。ここで、夕飯タイムとした。駅弁にした。
新潟経由の吉田行きには、時間がまだあったから、駅弁は、待合室で食べる事とした。はじめは、総菜屋にしようと決めていたのだが、やはり駅弁だと思って購入した。ちょうど待合室にテレビがあり、台風情報を見た。やはり近づいている。これでは、次の日には、暴風の中を旅するのか…という思いがして、正直ヤバかった。
そして、定刻通り吉田行きの普通が来た。あまり乗り込んでくる客はいなかった。またまたワンボックスを独り占めした。途中の駅で、暴風警報が発令されたという案内が来た。でも、扉が開いて、外を見ても、あまり風はなくて、穏やかであった。嵐の前の静けさなのだろうか…。定刻通り新津に到着した。
ここから、羽越本線に乗る。離れたホームにキハ110系が止まっていた。僕らは、ダッシュをして乗り込んだ。乗り込んで席に着くと、扉が閉まり発車した。
ディーゼルカーに乗るのも、初めてであった。1−2列のボックスシートであった。しかも、人がまったくいない。加速は新型の車両だから、早いのかなと思ったら、とんでもなかった。ギアチェンジに失敗したような加速の仕方、そして、ノロノロ運転。台風の影響でこうなったのであろうか。おかげでかなり遅れて、終点の新発田に到着した。
村上行きの普通列車は、とっくに発車時間が過ぎているのに、待っていた。接続列車だからなのであろう。新発田に降り立つと、ずいぶん遠くまで来たなぁという感じがした。